あれから2年。
かの地を忘れないように、と思いながら、必死で自分に与えられた役割を果たしてきました。節電や寄付はしたけれど、被災地ボランティアには行かなかったですし、原発廃止運動にも具体的には参加していません。それが正しかったのかわかりません。気持ちばかりが焦る反面、あれもこれも中途半端に関わることはよくない、と言い聞かせていました。
この被災を国民全員で背負わないとならない、そういう気持ちでした。復興に向けた急性期に必要とされる支援内容には、体力、時間、ノウハウのある実際に関われる方に関わっていただき、私自身はこれから長く必要とされる中長期的な支援に細く長く関わっていたい、と考えています。
例えば、ほとんどニュースになりませんが、私の生まれた茨城県の日立市の被災状況も未だに大変そうです。東北に知り合いも多いので、日立市には限っていませんが、被災地支援をしている小さな団体を中心に、毎月11日にささやかな寄付を続け、そろそろトータルで最初に寄付したいと考えていた額を超したでしょうか。このペースなら続けることができます。
自分にできることって何でしょう?互いに忘れないよう語り合うことも大切でしょうし、特定の友人を具体的に支えることなど、それぞれの身の丈に合ったことでいいと思います。無理をせず、必ず自分が社会の歯車の一つなのですから、もともと自分が関わっているアクティビティも質も低下させてはならない、と強く感じながら、この2年間を過ごしていました。しばらく被災地との格差が生まれるかもしれませんが、それが必ず日本全体へのプラス方向への相乗効果も生み出すはずです。そう信じて日々を過ごしていきたいと考えています。
東日本大震災だけではなく、私の場合は偶然にも阪神淡路大震災を現地で体験しています。何万人もの尊い命の犠牲のうえにあるという自覚を持ち、静かに、謙虚に、阪神淡路からは18年目に入り、東北大震災から3年目のスタートを迎えます。
現地の方々が前を向いていられますように。必ず、なにか希望がありますから。